GMT/パラブーツ 横瀬秀明社長――海外のブランドと共に靴を作り込み、日本のファッションシーンへ
世界の良質な靴を日本の百貨店や専門店に販売する一方、自ら直営店も手掛けるGMT。品質本位の靴作りに徹するブランドとの信頼関係をベースに、単に輸入、卸売りをするのではなく、日本のファッションシーンに対応した商品へと作り込むことで多くのヒットを生んできた。同社のブランドや商品、靴作りに対する考え方、マーケット創造への取り組みなどについて、代表取締役の横瀬秀明氏に聞いた。
INTERVIEW
2022.03.11
ファッションにマッチする靴作り
――GMTの魅力は何と言っても品揃えです。何ブランドを扱っているのですか。
「現在は12ブランドを主力としています。品質本位を前提に、ブランド力が高い、優れた技術がある、独自の素材を使っている、革新的な機能を備えているなど、それぞれに特性があります。その価値を日本のファッションシーンに落とし込んでいくことを重視してきました。どういうファッションとマッチするのかを考え、ブランドと共に商品を作り込んでいます。このようなアプローチが目利きとされるセレクトショップの方向性と合い、その成長と共に当社も成長してきたと言えます。今も商品開発ができているのは、各ブランドに優れた物作りの背景があるだけでなく、自ら進化していこうとする姿勢があるからです」
――「ジャランスリウァヤ」は象徴的ですね。
「インドネシアのフォーチュナシューズ社と2000年頃から取り組んでいるブランドです。同社は1919年に軍靴の工場として創業し、オランダから独立した戦後、2代目が英国ノーザンプトンに渡って靴作りを習得し、フランスで皮革の生産を学んで、ハンドソーンウェルテッド製法を持ち帰りました。西欧の靴作りが機械化した中で希少な技術となりましたが、私が出会った頃の同社は技術があるに過ぎなかったんですね。量産できれば買いやすい価格で提供できると思い、ファッション性を高めるデザインや足への負担をやわらげる形状にするための木型作りなど、いろいろなリクエストをしました。すると彼らは私たちのニーズを満たす靴を作ってきたのです。時間も根気も要りましたが、2003年に発売できました」
■Jalan Sriwijaya(ジャランスリウァヤ)のメンズシューズ

■こちらはウィメンズ。最終工程以外は全てハンドメイドながら、リーズナブルな価格で多くのファンを持つ
偶然がきっかけで靴の輸入会社へ
――靴の業界に入ったのは、やはり靴が好きだったからですか。
「もともとは服が大好きだったんです。中学時代からビームスの大ファンで、地元の代々木上原から自転車で原宿の店に行っては服を物色していました。当時はアメリカンライフスタイルを提案していて、靴もクラークスやコンバースなどいろいろな米国ブランドがありました。高校3年生のときにスペリートップサイダーの靴が欲しくなり、その輸入会社のアルバイト募集をたまたま見かけたんですよ。社販で安く買えると思って面接に行くと、何とG.H.バスも扱っていた。すぐにバイトで入って、社員になりました。その会社がワールドフットウェアギャラリー(WFG)です」
――WFGは現在も数々の靴ブランドを日本に紹介していますね。
「私が入ったのは創業4年目の1983年で、社員は4人だけでした。靴の輸入規制が厳しく、会社ごとに数量や金額の割り当てがあった時代です。小売店は商社や代理店からでないと仕入れられませんでした。靴の輸入ビジネスはそれほど拡大できるものではなく、海外の靴ブランドは日本では希少性が高かったのです。そういう状況はありましたが、仕事はとにかく面白くて、水を得た魚と言われるほど没頭してブランドを開拓しました。中でも思い出深いのが「LOBB’S(ロブス)」です。ナポリ出身の靴職人、デザイナーでマレリーなどの靴作りを手掛けたセネカ・ヴィンチェンソが74年にミラノで立ち上げたブランドです。彼はしっかりとした哲学を持っていて、トラッドをベースに今の要素を取り入れた靴を作っていました。その彼に「モデリストになりなさい」と勧められたんですね。一から設計図の描き方を教わり、そのお陰で、全てイタリア語で仕様の指示もできるようになったのです。この経験はイタリアのメーカーと向き合っていく上でものすごいノウハウになりました」
危機から見えたチャンスをものにする
――94年にGMTを立ち上げました。創業時はどんなブランドを展開していたのですか。
「カンペールとビルケンシュトックの2本柱です。90年代前半はナイキの全盛でしたが、96年にブームが落ち着くとカジュアルシューズのムーブメントが起こったんですね。これにより生まれたマーケットが両ブランドの土台になり、当社も急拡大して様々なブランドの導入が可能になったのです。同年には直営店「REAL SCOPE(リアルスコープ)」を渋谷パルコに出店しました。カンペールとビルケンシュトックを軸に、海外で培った人脈を生かしてセレクト、開発した商品を編集したショップです。以降、VMDなど小売りのノウハウを養ってきました」
――2000年代に入ると中核の2ブランドがジャパン社設立などでなくなる中で、パラブーツの直営店をスタートさせています。
「それまでもパラブーツとは共に物作りをしてヒット商品を出していましたし、私たちが実践するVMDやメンテナンスなどのシステムを本国も導入するなど、良い関係を育んできました。ところが、2000年にフランス本社が経営危機に陥ってしまったんですね。日本でいう会社更生法が適用され、日本各地に散らばっていた4000足超の在庫品の回収を頼まれたのです。何とか集め切ると、「店を作ってこの在庫を売ってほしい」と。さすがに驚きました。でも、パラブーツは日本でのブランド力がついてきていていました。他ブランドとの複合的な販売よりも、パラブーツに集中したマーチャンダイジングが必要だと思ったのです。そこで01年に合弁会社を設立し、青山に出店しました」
――ピンチがあっても、チャンスを一つひとつ捉え、形にしてきたのですね。
「良い物作りだけでも、良いセールスだけでも駄目。取引先やマーケットの状況変化に対応した商品開発と販売戦略を整えながら、何とかやってきているかなとは思いますね」
■パラブーツ青山店
■本国との信頼関係で作り上げたパラブーツ
ブランドの直営店化、海外展開を進める
――GMTの今後の取り組み、課題について聞かせてください。
「卸売りというビジネスモデルが壊れていくのではないかと思っているんです。以前は小売店も一品一品のテイストやディテールなど靴としての価値を目利きしていましたが、現在はブランドが基準になってきています。物作りの背景も含めて全てがブランドのロゴに象徴されているという考え方ですね。消費者も、例えばローファー=G.H.バスというように、安全で間違いのない決定版を買うようになっています。そうした傾向が強まる中で各ブランドの背景をきちんと伝えていけるのは、やはり自分たちではないかと思うのです。ブランドごとの直営店の出店が、今後の当社のミッションになると捉えています」
■1876年創業の米国ブランド「G.H.BASS(G.H.バス)」のメンズシューズ。日本には1960年代に上陸し、3世代にわたるファンを獲得している
■「G.H.BASS(G.H.バス)」のウィメンズシューズ
――B to Cのビジネスを拡大していくということですね。 
「そうですね。2017年にはジャランスリウァヤの直営店をシンガポールに出店しました。経済成長でビジネスマンが増加し、革靴を履く習慣が広まってきているからです。これを足掛かりに同国内で多店舗化し、周辺国にも広げていく考えです。その一環で、日本だからこそ作り得た靴の文化を伝えるセレクトショップも構想しています。日本人のアイデンティティーが発揮され、たまらなく好きというファンがいるブランドや商品を編集し、世界に紹介していきたい。また、ECも重要なチャネルです。靴はサイズや履き心地の問題もあるので注力してこなかったのですが、コロナ禍で本格化しました。まだ全体の8%程度ですが、20パーセント位までは持っていけると見ています。ECの信頼性を高めるには、実店舗をしっかり運営していることが強みになります。そのためにも、各ブランドの直営店化は課題です」

(おわり)
取材・文/久保雅裕
写真/野﨑慧嗣
店舗写真・商品写真提供/GMT
■G.H.バスの魅力を凝縮した「G.H.BASS TOKYO」
■海外初出店となった「Jalan Sriwijaya(ジャランスリウァヤ)」のシンガポール店